ローヤルゼリーで健康を手に入れよう

日本でローヤルゼリーが普及したのはいつ頃?ローヤルゼリーが日本人に浸透するまで

今やローヤルゼリーといえば、美容にも健康にも非常に良い成分を豊富に含んでいるスーパーフードとして非常に有名ですが、日本でローヤルゼリーが広く知られるようになったのはいつ頃かご存じでしょうか。
今回は日本でローヤルゼリーが普及してきた背景や年代について詳しくご説明いたします。

きっかけはローマ法王ピオ2世が病気から奇跡的な回復をしたという出来事

ローマ法王ピオ2世は、1956年ころから肺炎にかかり命の危機にさらされるという状態になります。この時医師団は当時最新の医療技術を駆使しても回復しない法王の命を救うべく、最後の手段としていちるの望みをかけてローヤルゼリーの処方を開始します。
すると奇跡的に驚異の回復を見せ、瀕死の状態から一転、健康的な体を取り戻し、ローヤルゼリーが世界的に脚光を浴びることになります。
このニュースは全世界に広まり、やがて日本にもそのローヤルゼリーの驚異のパワーが伝わることになりました。

ローマ法王のニュースから一年後、日本がローヤルゼリーの輸入を開始

ローマ法王ピオ2世がローヤルゼリーによって病気からの驚異的な回復をしたニュースが流れた一年後の1955年、製薬メーカーがローヤルゼリーを医薬品として輸入開始し始めます。当初輸入されたローヤルゼリーは、男性用の精力剤などとして利用されることがほとんどでした。

広く国民に知られるようになったのは週刊誌で紹介されてから

一般的に広くローヤルゼリーが知られるようになったのは、1959年の週刊誌での紹介になります。
『不老長寿の新薬現る』というセンセーショナルな登場で人々の関心を集めました。こうして週刊誌で大々的に取り上げられることになってから、ローヤルゼリーは私たち日本人に非常に身近なものとなっていきます。

それ以前に日本でもローヤルゼリーの存在は知られていた

ローマ法王の病気を癒し、日本にセンセーショナルな登場をする以前、実は日本でもローヤルゼリーの存在は確認されています。明治大正時代の農学博士、玉利喜造は「王家の舐物」として、自身の著書でローヤルゼリーのことを紹介しています。

生産体制が整ったのは1960年以降から

ローヤルゼリーを計画的に生産するための体制は1960年に整い始めます。現在行われているローヤルゼリーの生産の礎は、静岡県清水市で始まりました。

大量生産できるようになったのは1970年代からの健康ブーム

ローヤルゼリーが日本国民の間に浸透するほど大量生産できるようになり、人々の間に普及するようになったのは、1970年代からの健康ブームが火付け役となっているといえます。
確かに1960年に生産し始めていますが、爆発的ブームを巻き起こすようになり国民の身近な存在になるためのきっかけは、やはり健康ブームに乗ってサプリメントブームが起こったからだといえるでしょう。

需要が高まるにつれて研究が前進する

このブームによってローヤルゼリーが人々の注目を集めるようになると、各研究機関がこぞって成分や効果効能を研究し始めるようになります。さまざまな健康効果や美容効果が解明されるところとなり、ローヤルゼリーはさらに日本人に深く浸透しさまざまな場面で利用されるようになっていきます。

実は日本人は気が付かないうちにローヤルゼリーを摂取していた

ローヤルゼリーという言葉が誕生するずっと以前から、私たち日本人の祖先たちは養蜂を行い、知らず知らずのうちにローヤルゼリーを摂取していました。

日本で行われていた「古式養蜂」は蜂蜜と同時にローヤルゼリーも摂取

日本では古墳時代から養蜂が行われていて、その養蜂の方法は「古式養蜂」と呼ばれるものでした。この古式養蜂の場合、蜂蜜だけでなくプロポリスやローヤルゼリーまですべてが混ざった状態のものと採取という方法でした。そのため、自然とローヤルゼリーも摂取していたということになるのです。

まとめ

日本でのローヤルゼリーの歴史は、まだあまり長いとは言えません、しかしローヤルゼリーは日本に上陸するや否や、たくさんの人の健康や美容に大きな効果をもたらし、現代社会においてはその驚くべき効果もたくさん解明されています。ローヤルゼリーの日本での歴史の中でも、現在では非常に便利にローヤルゼリーのパワーを摂取することができるサプリが登場し、手軽に安価に体に取り入れることができるような時代となりました。
ローヤルゼリーの歴史にはその効果効能を解明し、多くの人のために役立てることを目的として、さまざまな研究者がたずさわってきています。
今を生きる私たちは、先人たちが築き上げてきてくれたローヤルゼリーの研究と普及の努力によってその高い効果を実感することができるようになっているのです。